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第41回 ♪この夏NYで暮らして感じたこと (2009年秋号)

長い間ご無沙汰のエッセイ。やっと書く時間と気力が生まれました。

前回病気のことを書いていたのですが、実は自分自身が去年の夏は初期のガンと闘っていたのです。 母が口うるさく「不規則な生活してるんだから検査に行きなさい」と 言ってくれたお陰で重いお尻を上げて行ったその結果、「初期の子宮がん、手術を要す」。 CAT(教えにいってる音楽専門学校)の夏休み、そして秋休みと1週間ずつ入院、手術を受けました。 初期だったので幸いおなかは切らずに済んで、大事に至らなかったのです。 現在も欠かさず定期健診に通ってますが、今のところ完治しています。 早期発見により神様に命をつないでもらえたと感謝し、 同じ病気で亡くなった友人シンガーの分までがんばって歌っていこうと誓ったのです。

今年は去年苦しんだ分成長できてる気がします。 この夏休みは思い立ってNYに一ヶ月間遊学に行きました。 今はすっかり秋になって街の様子も変わっているでしょう・・。 10数年前に渡米した友人たちは立派に向こうで活躍していました。 有名なアーチストとも共演していました。 話すと昔のままで関西弁で全く飾らない素晴らしい友人です。 残念ながらバリバリ向こうのミュージシャンと張り合って歌ってるボーカリストは見つかりませんでした。 言葉の壁はやはり大きいのかもしれない。。どうがんばっても幼少期から話しているネイティブには叶わないし、 体格も顔の輪郭も(声が響くところ)違うからでしょうか。

そして色んなことを体験し、多くのことを考えさせられたし、ジャズを歌うなら もっと英語を日常的に話さなければいけないと痛感したのでした。

まず最初に体験したのが日本人のゴスペルグループで、先生は黒人のシンガーでした。 彼が強調していたのは「お腹から大きな声を出して・・」。 ゴスペルはそれが基本なのです。 (その時私は人数の少ないテナーパートに参加したので、低音で歌え、喉も楽だった。 時々活動してる日本のアカペラグループではいつもソプラノ担当で喉がへとへとに疲れるから、 低音でお腹から歌うのがこんなに気持ちよく楽なのかと驚いた。)

その後、よく日本人をレッスンしてらっしゃるというキャロルフレデット先生の個人レッスンを受けました。 先生は白人でレッスン内容は、いかに繊細にナチュラルに表現して発声して歌うか、だった。 たまたまかもしれないが、180度歌うことに対する考え方が違うと感じました。 先生は、ブラジル音楽もお好きで研究してられて、イヴァンリンスの 曲をたくさん歌ってらっしゃった部分も気が合いました。 彼女も「ラブダンス」を取り上げCDのタイトルにまでしていた位です。 ボサノバを歌うときはポルトガル語なので、お互いネイティブではない同じ条件下です。 先生は私の歌うボサノバに興味を持って、聞かせてと言って下さった。 「よく研究してる。エクセレント!」と褒めてもらえたのがうれしかった。 キャロル先生のレッスンで歌ってるとすごく気持ちよいFeelingになってくるのでした。 それは英語の発音がうまくメロディーに乗ってるとき?と思われるけど・・。 「オーガニックにスムーズに」というのが口癖で、私も目指しているその歌い方ができてる瞬間、そう感じるのかもしれないと思いました。 そして明らかに私の歌が変わる「発見」をしてアドバイス下さいました。その新しい方法を現在ライブで試している最中ですが、なかなか好評のようです。一言で言うと大人っぽいニュアンスになったかな? また渡米した際には必ず彼女のレッスンを受けたいと思っています。

ライブには毎晩のように通いました。 高齢で来日できないシンガーも聞いたし、トリオやカルテット、ビッグバンドの演奏や例の友人たちのステージも聞いた。 飛び入り(オープンマイク)にも参加しました。 向こうの人たちは(向こうに住む日本人も含めて)すごくオープンだ。 いいものはいいと認めて口に出す勇気を持っているから・・。 日本人はなかなかできる人が少ないけどね。

そのうちに私が興味を持ったのが「NYに住んでる日本人のシンガーの歌」でした。生活してるからネイティブみたいに発音は出来てるはずだし、、どんな風に歌うんだろうか。。

テロのあの忌まわしい事件以来、シンガーとしてレギュラー持つのも困難な環境の中で、日本人シンガーのライブは なかなか無かったが、週一回歌ってて、そこに多くの日本人シンガーが集まって来てステージの最後に順番に飛び入りで歌う、というライブを教えてもらって繰り出しました。 そこで一気に気になってた日本人シンガーをまとめて聞けるチャンスを得ました。 みんな上手かった!! 英語の発音にストレスが無いというのは素晴らしいこと。 発音がスムーズな分、歌の技術や声の良さが聞こえてきました。 私も歌わせてもらい、友達も出来ました。

悟ったのは・・最終的にはやはり歌唱力なのだ。。(ここでは発音は出来て当たり前のことで・・) しかし驚いたのが、すごく上手い人がCDの一枚も出してないとは・・。 みんな生活するのが大変で音楽以外にも仕事をやらないと生きていけない。CD出すお金を貯める余裕がないとか話してました。 あまりにも簡単に誰でもリリースできてしまう日本の事情を知ると愕然とするだろうな。 私の知り合いでグリーンカードまで取ってツアーガイドまでやってたシンガーが日本に戻ってきましたが、その理由は日本みたいな安心な「保険制度」が無いのが不安だったのだそうです。 健康な時はいいけど病気したら大変だ・・。私も1〜2年位勉強しながら住みたいと思うけど、NYで生活しようと思ったら並大抵の苦労ではないかもしれないですね。

今回はNYで体験したごく一部、特に日本に住む「ジャズシンガー」の一人として強く感じたことを書き綴ってみました。

私が住んでいたのはセントラルパークの近くでした。 夏だったので、木々は緑、芝生もきれいでした。 名物の馬車も見たし、結婚式にも遭遇しました。キュートなリスもいっぱい見かけました。毎日ウォーキングしようと運動靴まで買ったのに結局数回しか行けずでした。 今はきっと木々も色づいてこの歌にピッタリのシチュエーションになっていることでしょう。 秋には訪れられないけど、NYの秋を想像して最近よく歌っている 歌を紹介します。心に沁みる渋いバラードです。

♪ニューヨークの秋

NYの秋にどうしてこんなに惹きつけられるの?
初夜の(演劇など)スリルを綴るのもNYの秋。

ビルの谷間からキラキラした人ごみときらきら浮かぶ雲が見える。
その光景は・・「あぁ、帰って来たんだ」と感じるの。

NYの秋は新しい恋の予感をもたらす。
それはたびたび傷つくのだけれど・・

手ぶらの夢追い人は
このエキゾチックランドにため息つくのでしょう

NYの秋でまた暮らせるのはステキなことね。

 

目下の私の夢はクリスマスをNYで過ごすことです。 寒いけどロマンチックでしょうね。一生に一度は体験してみたいな。

 


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