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イヴァンと(ブルーノート東京にて)
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前回のエッセイ、まだニューオリンズのバンドとやる前だったのですね。7月26日だったから、先日の『はやぶさ』ライブが11月26日で、4ヶ月が経過しているのですね。いやぁ、実に一年分以上を短縮したくらいの体験がありました。まず思いのほか楽しくノリノリでやれたニューオリンズリバイバルジャズバンドとの共演。新しいCDのライナーにも出てきますが、「ジャズって心の底から楽しんでやる音楽なんだ!」と改めて教えられました。ジャズに国境はないと思いました。そして過酷な日本ツアー中に旦那様のバンジョー奏者が病気になられて入院、しかし自分はバンドリーダーなので、彼を置いて各地でのコンサートを続けたシンガーバヌーギブソンさん。心配し、悲しみながらもステージでは最高のエンターテイメントを見せてくれた姿は感動的でした。一流のショーマンシップを目の当たりに見せてもらえた貴重な体験でした。 そして9月はハードなスケジュールをこなし、レコーディングを迎えたのです。初体験の八ヶ岳・山小屋コンサート。それはもう、想像以上に素晴らしい体験でした。80人の登山客に囲まれた神秘的な空間。二回もアンコールが来た、うれしいコンサートでした。東京や名古屋や大阪からも興味のある方々が駆けつけてくれました。大人になって体験した「登山」そして大自然で歌えるシアワセ。この体験は2007年の私を大きく変えてくれたと信じます。そして翌週は広島の安田女子大でのレコーディングでした。関西からギター、ベース、フルート、ドラム、そしてエンジニアさんとプロデューサーが同行、3泊4日のぎっしりスケジュールをこなし、合間を縫って、お好み焼きやサッカー観戦、ライブに通ってるバー「リハク」へもみんなで出かけました。 この夏はかなりハードなスケジュールだった上に大切な友人が去って行ったり、精神的に辛いことがあったのですが、広島のレコーディングが終わった後、タイムリーに今回トリビュートして楽曲を取り上げた、現在のアイドル「イヴァンリンス」の日本ツアーがありました。大阪公演がなかったので、仕方なく東京〜横浜、そして名古屋、とブルーノートを追っ駆することになったのです。 彼のステージは想像してた通りでした。東京公演はサイン会があって自動的に会えて、友人にポルトガル語を通訳してもらって、彼の好物のワインを渡せたりもしました。録音したてのCDを聞いて感想をもらおうと手渡しました。感想も大切でしたが、何よりも彼の曲に日本語の歌詞をつけたことの許可をもらわないとジャスラックを通過できないので、リリースできないという問題がありました。関係者は「おそらく大丈夫。きっと喜んでくれるでしょう」という意見だったので、私自身が高をくくっていました。そしてその答えを横浜公演でもらう約束をして、数日関東に滞在して横浜再会を待ちました。待ちに待った横浜のステージに彼が出てきた瞬間、「あ、すごい疲れてはる」と感じさせるくらいにヘアスタイルもぼさぼさで演奏中「リオへ早く帰りたい」と言っていました。イヤな予感は的中、演奏が終わると過労のためすぐホテルへ帰ってしまって会えませんでした。私は思わず涙がこぼれました。ずっとこの日に為に東京のホテルに泊まって待っていたのですから。しかし、翌日は大阪で昼〜夜まで仕事があったので、辛い思いを胸に帰阪しました。周りに居た人は「メールして返事を待つしかない」と言いましたが、もう一応レコーディングは完了して、CD発売記念ライブの日程も決まっていました。普段怠慢で行動力にも欠ける私ですが、今回は自分の大切なCD発売がかかっていたので居ても立ってもいられませんでした。翌々日、名古屋公演。。朝から夜のライブまで予定が詰まって行けないはずでしたが、私は心を決めました。夜のライブもたまたま代役がみつかったのです。専門学校で教える授業が終わったのは18時半。その足で新幹線に飛び乗りました。ブルーノートへ辿りついた時には沢山の列に人が並んでいました。私が来たことを伝える為に、手紙付きのお土産を渡してもらいました。ステージの10分前に迫っているのに、イヴァンが私を楽屋へ呼んでくれました。申し訳ないような信じられないような気持ちで、長い階段を上がった記憶があります。 ステージ直前だったので彼の話は簡潔そのものでした。「日本語で歌ってる2曲が、僕の作ったメロディーラインに合ってないと思った。だから好きではない。外の曲は全てグッドだ」と言ったのです。まさか、否定されるとは?!予想外の展開で、私は動転しました。「でも自分の国の言葉で、素敵なあなたの曲を歌いたいので、再挑戦してもいいですか?」と口走っていた。彼は苦笑いしながら「ははは、それならMP3で送って来なさい」と言ったのでした。ステージ直前だったので、それ以上は深く色々意見を聞けなかったのが残念でした。直接私の音楽に関与してもらえた光栄さと、母国語で歌うことを否定された複雑な気持ちで、ステージを聞きました。一番前のテーブルに座れた私はブラジル人に囲まれて異国の雰囲気でした。そしてアンコールで、名古屋へ来て良かったと思えるすごいシーンに遭遇出来たのです。アンコールで出てきた彼に、日系人の女の子が「イヴァン、ヴィットリオーザ歌ってよ!」と叫んで、みんなも「歌って!」とコールしたのです。これはDVDで見た1シーンを思い出させました。リオのライブで、この曲が鳴り出すとイヴァンが歌わなくても観客全員が大合唱するのでした。コンポーザーとして最高にうれしいだろうな、と感動しました。今回それを目の当たりに出来たのです。あのシーンのようにみんなで大合唱、あんまり歌詞のわからない私までが何気に歌えてしまったのでした。
そんなこんなで、翌日大阪へ戻って、落ち込む暇もなく次の再録音の日程を決めなければなりませんでした。急なことなので なかなかエンジニアさんやスタジオの日程が合わず、、一週間ほどブランクが出来てしまいました。その間、ポジティブに生きようと決めて、ポルトガル語の先生のところに4時間に及ぶ特訓を受けに行ったり、入れなおす曲をアレンジしなおしたりして過ごしました。再録音当日、ギターの馬場さんをスタジオに呼びました。いつものようにギター二本とアンプ持参で乗り込んでくれました。「ヴェラス」は数え切れないくらい録りましたが、結局最初の一発目が採用になりました。時間が余ったので、「ブリッジーズ」にコーラスを付けたり、遊びで馬場さんとCDと関係ない曲を2〜3曲録ったりもしました。しかし、そのうちの日本語で歌った古い歌謡曲が、リラックス感も手伝って妙に生ギターと私の心境にマッチしてしまい、ボーナストラックに採用されたのです。イヴァンに日本語を認められなかったショックも作用したのでしょうか、なんかわびさびが心に沁みた気分でしみじみ歌えてしまったのです。まったく偶然の産物です。もう二度とあんな風には歌えないかもしれません。この歌唱はボーナストラックで皆さまのお耳にも届くので、是非楽しみにしていてください。今回のアルバムも難産、産みの苦しみを味わってやっと世に出るのですが、そんなエピソードの中から偶然生まれた、最後の子供(笑)ボーナストラックの「胸の振り子」を今号の一曲に選んでみました。
♪胸の振り子
柳につばめはあなたに私。胸の振り子が鳴る鳴る、朝から今日も。 君の明るい笑顔浮かべ、暗いこの世の辛さ忘れ・・。 はやくあなたに、新しいCDを届けたくて、私の胸の振り子が鳴っています。 2007年11月30日。やっとの思いでCDを完成させて。 |